OB/OG紹介 – 産婦人科医:成川希さん

成川希さんは、産婦人科医として働きながらアーユルヴェーダのイベントを定期的に開催している、世界青年の船(以下、SWY)第21回の参加者です。船とキャリア、そしてアーユルヴェーダとの関わりについて伺いました。

産婦人科への道

幼いころから、「なぜ人は生まれるのか」「なんのために生きているのか」と不思議に思っていた成川さん。小学生3年生の頃、南アフリカのアパルトヘイト抵抗運動活動家であるスティーヴ・ビコとその弁護士のドキュメンタリーを見て、無実にも関わらず捕まり殺される人がいたことに憤ります。将来は人のために働ける仕事に就きたいと強く思った成川さんは、ご両親にどんな仕事だと人の役に立てるかを聞きました。弁護士や教師などいくつか候補があったものの、幼心にも自分は理論で人を説き伏せるタイプではないと思い、弁護士でなく医者を目指すことにしました。

見事、地元である岐阜県の医大に入学した成川さん。国家試験を受ける頃には、自分が専門とする科を選ばなければなりませんでした。もともと人の心に関心があったため精神科への勤務を希望していましたが、友人に「あなたは(人に)引っ張られるタイプだから精神科は止めた方がいい」とアドバイスを受けます。実際、学生の頃にすでに精神科の先生が二人も命を絶っていたことから、友人のアドバイスに従い、精神科ではなく他の科を選ぶことに。精神科以外の分野でも心に寄り添って診療できるのではと、医局の雰囲気を見て選択肢を絞り、最後は人と喋ることができる産婦人科に決めたそうです。

それから産婦人科医として、岐阜大学病院や岐阜県総合医療センターにて週末返上でがむしゃらに働いたそうです。常に「先生」と呼ばれ、電話をかけてくる相手も医者か看護師など医療従事者がほとんど。夜中にお産で呼び出されるのが当たり前で、当直の時でなくとも、安心してぐっすりと寝られることは少なかったといいます。

寄港地トンガで小学校を訪問

SWYでの学び

産婦人科6年目のある日、ご両親から新聞でSWYの広告を見たと連絡が入りました。海外に住んでみたいと子どものころから思っていたものの、仕事が忙しく海外に行く夢をなかなか叶えられなかった成川さん。医学部を出て病院に入り、どっぷりと医療系の世界に浸かっていた成川さんは、その頃から病院以外で働いている人とも知り合いたいと思うようになっていました。これはいい機会だと思い応募を決意。夏休みと年休を合わせて、31歳の時にSWYに参加しました。

事業に参加した当初は個人よりも医師としてのアイデンティティが強かった成川さんですが、SWYではだれからも「先生」と呼ばれず、一個人の「成川希」として日々を過ごせたことが新鮮だったといいます。もちろん、夜中にお産で呼び起こされることもありませんでした。

また、SWYで強く思ったのは、「一方を聞いて沙汰するな(=一方だけを見て思い込むなという意)」だといいます。SWYには、全く異なった環境で育ってきて、違う宗教や考え、常識を持っている人々がたくさんいました。「自分がこう思っている。彼がこう言っている。それだけじゃなくて、第三者の意見を聞かないと全体像は見えない。発言の一面だけを見て相手を判断していけないと学んだ」と当時を振り返ります。

この学びを医療の現場でも生かすようにしているという成川さん。患者さんのなかには、ストレートに病状を説明した方がいい人もいれば、ストレートに言うと大きなダメージを受ける人もいる。SWYでの経験から、患者さんに病状を伝えるときは、相手の性格やバックグランドを踏まえ、どのようなコミュニケーション・スタイルや伝え方がいいのかを事前に考えるようになったといいます。

ほかにも、SWYには今まであった事のない面白く個性的な参加者が多くいたことから、自分と他人を比較するのではなく、様々なコミュニティにおける自分の役割を、他人の目を気にすることなく、マイペースに全うしようと思うようになったそうです。

寄港地ニュージーランドでのグループ研修

インドとアーユルヴェーダに開眼

SWYでたくさんのユニークな人と出会ったことから、もっと色んな人を知ってみたいと思い図書館で伝記を二冊借りました。そのうちの一冊が、たまたまマザー・テレサの伝記でした。それまで、マザー・テレサが実際どんな人なのかあまり知らなかったそうですが、自分の生まれた国でない場所に命を捧げた彼女の生き方に成川さんは衝撃を受けます。伝記やドキュメンタリー、映画だけでは物足らず、彼女の生きた場所を見るために一念発起して2010年にインドを訪れることに。マザー・テレサが働いていた死を待つ人の家(ニルマルヒルダイ)でのボランティアを経験し、生きることと死ぬことが同じくらい目の前にあるインドで必死に生きる人々に感銘を受けた成川さんは、なんとインドにドはまりしました。翌年の夏休みに再びインドに足を踏み入れます。南インドにて5日間、アーユルヴェーダのトリートメントしたところ体調が驚くほど良くなり、今度はアーユルヴェーダの勉強がしたいと強く感じるようになりました。

インドでの経験とは別に、成川さんがアーユルヴェーダに関心を持った理由があります。それは、現代のスタンダードである西洋医学とは異なる、もっと人が輝ける医療があるのではないかという疑問です。例えば、大きな病院では、ガンになったら抗がん剤を投与するのが現代医療のスタンダードではありますが、抗がん剤のために体力が失われていく人を見ていくうちに、「残りの少ない人生をこのように過ごすべきなのか」、「家で家族と楽しく過ごすべきなのではないか」と疑問に思い始めたと言います。

そんな中で調べてみると、インドではアーユルヴェーダの国家資格があり、医療として確立していることが分かりました。アーユルヴェーダをきちんと勉強すべく、成川さんは勤務先の病院を辞め、2015年、米国カリフォルニア州にある米国補完医療大学アーユルヴェーダ科クリニックと、インド国立グジャラート・アーユルヴェーダ大学の産婦人科、インドJIVAアーユルヴェーダクリニック にて合計3カ月の臨床研修を行いました。帰国後、様々な病院でアルバイトをしながら、アーユルヴェーダを広めるために邁進。アーユルヴェーダのイベント「アーユルヴェーダ養生塾」を昨年から代々木上原で開催するまでに至りました。

米国補完医療大学アーユルヴェーダ 科Dr.Jayと

アーユルヴェーダの魅力とこれから

アーユルヴェーダは、「生きる知恵」だと言う成川さん。生活習慣、哲学、食べ物など、アーユルヴェーダのどの部分がヒットするか分からないが、「どうやって楽に生きるか」の知恵をアーユルヴェーダは与えてくれるといいます。現代医学の治療とは病気を外部の力で治すものがメインですが、アーユルヴェーダは予防の方法、病気とうまく生きていく方法や、変わらない事実を別の視点から見る方法を提供してくれるそうです。その、自分の力で心と身体の健康を保とうとする観点が、成川さんが昔から好きな「養生」という言葉の精神と似ているといいます。今年4月から吉祥寺にあるレディースクリニックの院長として働く成川さんですが、今後はサロンやリラックスとしてではない、医療用のアーユルヴェーダの可能性を探っていきたいといいます。

事業参加を検討している方へ

SWYは色んな人と一気に接することができる機会だという成川さん。「自分が参加したのは社会人になってからですが、引っ込み思案だった学生のときに比べると心の扉が開きやすくなっていたので、社会人で参加したのは正解だったと思います。自ら積極的にコミュニケーションを取るタイプでなくても、SWYはそんな人も楽しめる面白さがあるから、ぜひ参加してください」とのことでした。

インタビュー担当:小宮 理奈(第21回世界青年の船事業参加)

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