OB/OG紹介 – 米国公認臨床心理カウンセラー:太田みなみさん

第21回世界青年の船事業(以下、SWY)に参加した太田みなみさんは、現在、米国公認臨床心理カウンセラーとして、ミズーリ州セントルイスにある病院の心療内科で働いています。カウンセラーという中学生の頃からの夢をアメリカで叶えた太田さんに、SWYでの経験とご現在の仕事について聞いてみました。

英語嫌いからのSWY、そして渡米

中学生の頃は英語が得意ではなく、日本で生きていくのになぜ英語を学ぶ必要があるのか分からなかったくらいだと話す太田さん。海外旅行の際、英語で色んな人とコミュニケーションを取る楽しさを知り、また海外に行きたいと思っていたときに、たまたま雑誌の広告でSWYの存在を知ります。英語での試験がうまく行かず、英語を磨くよう試験官に念を押されながらも無事に合格。立命館大学で人間福祉を勉強していた2回生の時に乗船しました。

乗船当時、まだ英語が苦手だった太田さんでしたが、自分なりに最大限楽しみたいという気持ちが強くなり、SWYでは自分の専門分野や特技、強みを活かすことで様々な体験をしたといいます。外国参加青年に各国の児童福祉情勢のインタビューをしたり、盛岡さんさ踊りサークルで太鼓を叩いたり、マッサージ師として船上のチャリティ・サロンで働いたりしました。

船内で友人たちと

自分の好きなことを仕事にしている年上の日本人参加青年や、自分らしく生きている外国参加青年とSWYで出会あったことから、大学卒業後、渡米しカウンセリングを勉強することを決意します。当初、日本の大学などで専門知識や技術を教えたいと思っていましたが、土地の広さ、価値観、現地の人たちとの交流や親交、また女性としての働きやすさや、専門的な分野での先進性に惹かれ、修士課程修了後は永住権を取り、アメリカで働き続けたいと考えるようになりました。そして在米8年目の2019年、ようやく晴れて、専門職従事者に与えられる永住権を獲得しました。

SWY乗船時、寄港地ニュージーランドでは小学校を訪問

カウンセラーとしての情熱

脳神経ベースのPTSD治療を専門としている太田さんは、現在、生活保護対象者など貧困層の治療を行っているクリニックに勤務し、年間に1千人ほどの患者さんを診ています。子どもからお年寄りまで幅広い患者さんがいますが、話の内容は、 殺人、自殺、児童虐待、レイプ、近親相姦、交通事故、戦争、いじめ、DVなど、とても壮絶なものです。そして、どこの国でも、社会が抱える問題だけでなく、家庭環境から生まれる問題が多くあるといいます。そのなかでも、彼女がもっとも関心を持つのが、子どものメンタルヘルスです。

太田さん曰く、人間はマトリューシカのように、小さい頃からいくつもの層を重ねてできていて、一番奥にある子ども時代のトラウマを治療せず大人になってしまうと、いくらその上から層を重ねても、小さい頃のトラウマは癒えることなく、日常生活においてその影響が表面化することがあるそうです。したがって、大人になってからの治療も決して遅くはありませんが、可能であればなるべく早い時期にトラウマを治療することが重要だといいます。

日本では、鬱や過労死が社会問題になっていますが、それらが起こるのも治療されていないメンタルヘルスや家庭環境でのストレスに起因する 場合が多くあるといいます。特に日本人は、自分を高めること・自制することに重きをおいていますが、どの家に生まれる、どんな家庭環境に育つかなど、人生には自分でコントロールできないことはたくさんあります。それでも、日本人は自分に責任があるとも思い込みがちで、助けを外に求めることが難しいと太田さんは指摘します。しかし、周りにいる大人一人だけでも、子どもの悩みや苦しみに気づいてくれたら、その子どもの人生は大きく変わると太田さんはいいます。

深刻な症状を抱えて来院した患者さんが、治療を通じ一歩ずつ前進し、別人のように自分や幸せを取り戻す瞬間に一番のやりがいを感じる一方、治療の限界を感じ、無力感を抱くこともあるそうです。たとえば、本人の変わりたいという意思や努力がない限り、どんな治療でも効果が出ないといいます。また、妊娠中に母親の薬物やたばこ、アルコールの摂取によって、脳にダメージを受けて産まれてくる子どもは、大きくなっても脳の損傷は変わらず、どんな治療もある程度の効果しか出せないそうです。

それでも太田さん自身が、子ども時代にトラウマを経験し、治療を受け症状を改善し、様々な苦難を乗り越えてきたからこそ、治療の先には必ず希望があるといいます。日々の幸せに感謝するとともに、治療を通して、すべての患者さんに希望や幸福な人生を取り戻して欲しいと願いながら仕事に従事しているそうです。

大好きなアメリカの友達と

出る杭も出すぎれば打たれない

昔から、グループで人とつるむタイプではなく、周りから冗談で「変子(関西弁で、少し変わった子の意)」と呼ばれていた太田さん。しかし、人と違うことが問題視されてない環境に育ったことから、周りの目を気にすることなくマイペースに生きてこられたといいます。

「国際交流、国際協力に限らず、やりたいことがあれば、自分らしさを大切にして、何でも挑戦してみてください」と太田さんは訴えます。また、すぐに結果が出ることばかりではないと思いますが、諦めず、努力を続け、上手く行かないときは他人を責めるのではなく、自分の決断に責任を持ち、周りの方々や生きていることに感謝する気持ちを大事にして欲しいといいます。「前を向き続けていれば、その道のり自体がかけがえのない財産になる」という太田さん。アメリカでのますますのご活躍が楽しみです。

インタビュー担当:小宮 理奈(第21回世界青年の船事業参加)  

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