先輩のインタビュー:飯島 葉月さん(東南アジア青年の船)

事業応募時の年齢 : 24歳(学生) *乗船時:25歳(ギャップイヤー, フリー)

 

事業に応募した動機は何ですか?

動機としては、『日本と東南アジアの架け橋になる!為に、“東南アジア青年の船(SSEAYP)”が、ぴったりの事業だと思ったから』です。

“学生生活もようやく終止符打てるな〜、人生これからどうしようかな〜 ” という時に、 “あ!せっかくだし(大学でマレーシア語専攻だったので)、日本と東南アジアの架け橋になろう”と思いまして。その時思い出したんです、『東南アジア青年の船』を。

その頃、謎に自分の中で意識高いブームみたいなのが出てきてて“今ならイケるわ!”っていうのがあったんですね。それで大学1年生の時はハードル高そうと思っていた内閣府事業もイケるイケる!応募!…となったのですが、その時期は既にその年の参加青年応募の〆切がとっくに過ぎてまして。そこで、とりあえずその付属プログラムで当時あった「日本・ASEANユースリーダーズサミット2015(YLS)」のローカルユースはまだ募集していたので応募して、事業の一部に参加させてもらうことになりました。そのYLSはわずか数日間のプログラムだったんですが、本当に濃いプログラムで皆で泣いたり笑ったり、悔しい想いも抱えて、“絶対来年はJPY(日本参加青年)になる!”と決意することになりました。そして翌年しっかりスケジュールも万全を期し事業へ応募、合格して晴れて2016年に日本参加青年として第43回東南アジア青年の船事業の参加へ至りました。

事業に参加してどんな事を感じましたか?

“日の丸を背負うことへの重み”を感じましたね。普段の生活で日の丸を背負うことって、なかなかないじゃないですか。だけど、この事業では皆が各国の代表。一人一人の動きで、その国の見られ方が変わってくるんです。特にこの東南アジア青年の船事業は、日本政府のみならず、ASEAN各国政府も積極的に関わっている事業。一人一人皆違ってみんな良い、そういう時代だけども、時には“個”である前に、“コンティンジェント(国)”としてどうなのか、もどかしさも感じましたし、国際社会で生きていくことへの学びも多く得られました。

そして、なにより事業へ参加して、“SSEAYPファミリーの凄さ”を感じました。実は私が事業に参加する前、YLSにローカルユースとして参加した、というのは先述したと思いますが、そこでたった数日だったのに仲良くしてくれたブルネイの参加青年にその後も現地ブルネイでとてもお世話になったり、たまたま道端で出会った既参加青年に未来のJPYだからという理由でごちそうになったり。事業参加後もマレーシアで活動していたときに、SSEAYPの既参加青年だからという理由で活動のスポンサーがすぐ見つかったり。船に乗っていたときは正直まともに会話したことなかったけども、同期だからという理由でその国に行けば会いにきてくれたり案内してくれる人がたくさんいたり。ホストファミリーも本当にファミリーとして接してくれて、事業後一緒に家族旅行に行かせてもらうこともありました。キャビンメイトや同じグループだった子達とはSNSを眺めるだけではなく同窓会をしたりテレビ電話などをして今でも近況報告をしあっています。東南アジア青年の船に参加すると、とにかく人人人で時にヘトヘトになってしまうこともあるけれど、この事業のキズナの強さ、そして人的ネットワークの凄さは計り知れないなあと常々感じています。

 

事業での経験はあなたの人生にどのように影響していますか?

“まずは何でもやってみる!やったらなんとかなるかもしれない!”っていう自分の人生の歩み方に拍車をかけてくれた思います 笑。

事業で印象的だったことの1つに、ホストファミリーのお姉さんの働き方があります。東南アジア青年の船の特徴の1つに各寄港地でホームステイをする、というのがあるのですが、私のシンガポールのホストファミリーのお姉さんが大の日本好きで。彼女は普段プライベートスクールで講師業をしているのですが、それとは別にフリーランスでデザイン業をしてたんですね。自分でデザインしたグッズをSNSで発信したり、シンガポールから自分の足で日本の原宿とか下北沢に持って行って“置いてください〜”って言って置いてもらって販売してるとそうです。“そんなことできるの?!”ってびっくりしたんですけど、“行動すればなんとかなるもんだよ〜笑”とお姉さんは言ってて、実際に彼女の手掛けたグッズがお店で置いてあるのを目にしたりして。そんなに自分と歳が変わらないお姉さんだからこそ、すごく影響を受けました。今私はフリーランスのマレー語通訳者として働いていますが、フリーランスでやっていくきっかけになったのがこのお姉さんの働き方を見てっていうのにあったのかもって思います。

また、事業へ参加してから3年経った2019年に”管理部員(通訳)”として、仕事でこの事業に再び関わることもできました。実は私は事業後に”とりあえず個人的な事後活動として…やってみるか!”というのが始まりで、SNSやウェブサイトで東南アジア青年の船について発信していたのですが、実際に新たな参加青年の子たちから”葉月さんの記事やブログみてました!おかげで合格できました!”という声もたくさん直接もらって、事業に乗る前は”何かを発信する”ことに消極的だった自分が事業を経て”やってみよう、発信してみよう”というように変われた(開き直れた?笑)のも、影響を受けたところだと思います。

応募を考えている方へのメッセージ

この長い長い記事を最後まで読んでくださったアナタ、もう事業に興味深々ですよね!? とりあえずさらに一歩を踏み出して応募しちゃいましょう! もし何か心配や不安を抱えていたら、是非教えてください!!私で良ければ解決の道筋を立てる協力、いくらでもさせていただきます。周りにとやかく言う人もいるかもしれない、でもやってみなきゃ始まりません、変わりません。参加してみて本当によかった、ずっと続いていく絆がある事業がココにあります。Can’t wait to see you as SSEAYP family!!♡

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